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消えた市民像 [駅前区画整理事業]
昨年、あるものが新居浜駅前から姿を消しました。
存在している間は意識していなかったのですが、なくなると気になります。
さて、その市民像ですが、撤去後、どうなったのでしょう?
存在している間は意識していなかったのですが、なくなると気になります。
(平成15年8月頃撮影)
それは、「市民像」。(平成21年6月頃撮影)
こんな感じでバスやタクシーの排気ガスにまみれながら新居浜の発展を見届けてきました。さて、その市民像ですが、撤去後、どうなったのでしょう?
多喜浜塩田 [その他]
新居浜駅周辺整備の事業の一つとして建設が始まろうとしている総合文化施設「あかがねミュージアム(仮称)」ですが、その機能の一つとして「産業遺産インフォメーション」機能が上げられています。
施設の名称(仮称)からして別子銅山が取り上げられているのは言うまでもないのですが、新居浜市広報(http://www.city.niihama.lg.jp/uploaded/pr/83_pdf2.pdf)を読んだ際に、同施設の展示内容として銅山と並列した書き方で多喜浜塩田を取り上げているのに驚きました。
施設の名称(仮称)からして別子銅山が取り上げられているのは言うまでもないのですが、新居浜市広報(http://www.city.niihama.lg.jp/uploaded/pr/83_pdf2.pdf)を読んだ際に、同施設の展示内容として銅山と並列した書き方で多喜浜塩田を取り上げているのに驚きました。
新居浜駅本屋の外壁改修が終了したようです [駅前区画整理事業]
駅前の区画整理事業に合わせて、年末頃からJR新居浜駅の外壁改修工事が始まっていましたが、どうやら終了したようで、レンガ調の姿に生まれ変わっていました。
駅本屋の整備はいったん終わりますが、将来的には本屋西側にあるトイレ(改札外)は閉鎖され、市が新たな公衆トイレを設置するそうです。
駅本屋の整備はいったん終わりますが、将来的には本屋西側にあるトイレ(改札外)は閉鎖され、市が新たな公衆トイレを設置するそうです。
ガリ山 [珍スポット]
新居浜を走る路線バスといえば、せとうちバス。
ごまんとあるせとうちバスの停留所の中でひときわ異彩を放っているのが、多喜浜にある「ガリ山」です。
場所は大島へのフェリー乗り場がある黒島の1つ手前。多喜浜工業団地の中に存在しています。
ごまんとあるせとうちバスの停留所の中でひときわ異彩を放っているのが、多喜浜にある「ガリ山」です。
場所は大島へのフェリー乗り場がある黒島の1つ手前。多喜浜工業団地の中に存在しています。
タグ:せとうちバス
日浦通洞 [別子銅山]
旧別子山村側に残る日浦(ひうら)通洞の坑口(木で見えない)と鉄橋。
この坑口は山を越えて新居浜市街側の東平へと繋がっています。
かつては「かご電車」(明延鉱山の一円電車のようなもの)による旅客輸送も行われており、別子山と新居浜市内を繋ぐ貴重な交通手段でした。
この坑口は山を越えて新居浜市街側の東平へと繋がっています。
かつては「かご電車」(明延鉱山の一円電車のようなもの)による旅客輸送も行われており、別子山と新居浜市内を繋ぐ貴重な交通手段でした。
四阪島 [別子銅山]
四阪島(しさかじま)は、瀬戸内海新居浜沖に浮かぶ4つの小島なのですが、元々は住友の銅精錬で賑わったところです。
昭和30年頃までは5000人ほどの人口を抱えていましたが、別子銅山の閉山等により順次縮小され、現在では人口はゼロになっています。
しかし、工場は完全閉鎖された訳ではなく、現在でも一部が稼働しており、そのためもあって島への部外者の上陸は認められていません。(従業員は専用船で新居浜から通勤しています。)
今回、四阪島の周りを巡る旅行ツアーに参加し、初めて島を肉眼で見ることができました。
昭和30年頃までは5000人ほどの人口を抱えていましたが、別子銅山の閉山等により順次縮小され、現在では人口はゼロになっています。
しかし、工場は完全閉鎖された訳ではなく、現在でも一部が稼働しており、そのためもあって島への部外者の上陸は認められていません。(従業員は専用船で新居浜から通勤しています。)
今回、四阪島の周りを巡る旅行ツアーに参加し、初めて島を肉眼で見ることができました。
バスが消える [交通]
平成21年10月31日付の愛媛新聞社オンライン(http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20091031/news20091031689.html)によると、瀬戸内運輸(せとうちバス)の路線バス、川之江~三島~別子山線が来年4月末で廃止になるという。
東平の大マンブ、小マンブと第三通洞 [別子銅山]
別子山中の鉄道というと、明治時代に建設された上部軌道が有名ですが、こちらは東平から第三通洞、日浦通洞を経て嶺南(旧別子山村)の日浦まで通じていた鉄道のお話です。
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