多喜浜塩田 [その他]
新居浜駅周辺整備の事業の一つとして建設が始まろうとしている総合文化施設「あかがねミュージアム(仮称)」ですが、その機能の一つとして「産業遺産インフォメーション」機能が上げられています。
施設の名称(仮称)からして別子銅山が取り上げられているのは言うまでもないのですが、新居浜市広報(http://www.city.niihama.lg.jp/uploaded/pr/83_pdf2.pdf)を読んだ際に、同施設の展示内容として銅山と並列した書き方で多喜浜塩田を取り上げているのに驚きました。
歴史から忘れ去られていなかったのですね。
瀬戸内海の塩田というと、四国では香川県の宇多津・坂出地域が有名ですが、実は新居浜市多喜浜も昔は塩田で栄えたところです。
今は工業団地となっているエリアは、江戸時代から昭和30年代までに至るまで塩田が広がっていました。
黒島も塩田開発が始まるまでは本当に「島」だったそうです。
多喜浜塩田の痕跡をたどるのは、今となっては簡単ではありませんが、工業地帯にポツンと存在する小高い山(久貢山(くぐやま))の麓にある「久貢屋敷跡」は貴重な遺産でしょう。
ここは多喜浜塩田の開祖天野喜四郎翁の住居があったところで、庭に植えられているソテツは塩田開基の際に植えられたものです。
より大きな地図で 多喜浜塩田跡 を表示
久貢屋敷跡付近へは、住友病院前又はJR多喜浜駅からせとうちバス黒島行き乗車、白浜下車北へ約500m。
(このバスは新居浜駅前を通らないので注意)
施設の名称(仮称)からして別子銅山が取り上げられているのは言うまでもないのですが、新居浜市広報(http://www.city.niihama.lg.jp/uploaded/pr/83_pdf2.pdf)を読んだ際に、同施設の展示内容として銅山と並列した書き方で多喜浜塩田を取り上げているのに驚きました。
歴史から忘れ去られていなかったのですね。
瀬戸内海の塩田というと、四国では香川県の宇多津・坂出地域が有名ですが、実は新居浜市多喜浜も昔は塩田で栄えたところです。
今は工業団地となっているエリアは、江戸時代から昭和30年代までに至るまで塩田が広がっていました。
黒島も塩田開発が始まるまでは本当に「島」だったそうです。
多喜浜塩田の痕跡をたどるのは、今となっては簡単ではありませんが、工業地帯にポツンと存在する小高い山(久貢山(くぐやま))の麓にある「久貢屋敷跡」は貴重な遺産でしょう。
ここは多喜浜塩田の開祖天野喜四郎翁の住居があったところで、庭に植えられているソテツは塩田開基の際に植えられたものです。
より大きな地図で 多喜浜塩田跡 を表示
久貢屋敷跡付近へは、住友病院前又はJR多喜浜駅からせとうちバス黒島行き乗車、白浜下車北へ約500m。
(このバスは新居浜駅前を通らないので注意)
2011-01-29 22:49
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コメント(1)
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7万もらってホテルでマットプレイしてきたYO!!
ぶっちゃけ上手くないんだけど、そのぎこちなさがむしろ(・∀・)イイ!!
スマタもしてくれけど、途中から普通にち○こ突っ込んでた件wwwww
http://09sg50a.help.to-hoku.info/09sg50a/
by ろぶすたー☆ (2011-04-11 06:57)