日浦通洞 [別子銅山]
旧別子山村側に残る日浦(ひうら)通洞の坑口(木で見えない)と鉄橋。
この坑口は山を越えて新居浜市街側の東平へと繋がっています。
かつては「かご電車」(明延鉱山の一円電車のようなもの)による旅客輸送も行われており、別子山と新居浜市内を繋ぐ貴重な交通手段でした。
この坑口は山を越えて新居浜市街側の東平へと繋がっています。
かつては「かご電車」(明延鉱山の一円電車のようなもの)による旅客輸送も行われており、別子山と新居浜市内を繋ぐ貴重な交通手段でした。
四阪島 [別子銅山]
四阪島(しさかじま)は、瀬戸内海新居浜沖に浮かぶ4つの小島なのですが、元々は住友の銅精錬で賑わったところです。
昭和30年頃までは5000人ほどの人口を抱えていましたが、別子銅山の閉山等により順次縮小され、現在では人口はゼロになっています。
しかし、工場は完全閉鎖された訳ではなく、現在でも一部が稼働しており、そのためもあって島への部外者の上陸は認められていません。(従業員は専用船で新居浜から通勤しています。)
今回、四阪島の周りを巡る旅行ツアーに参加し、初めて島を肉眼で見ることができました。
昭和30年頃までは5000人ほどの人口を抱えていましたが、別子銅山の閉山等により順次縮小され、現在では人口はゼロになっています。
しかし、工場は完全閉鎖された訳ではなく、現在でも一部が稼働しており、そのためもあって島への部外者の上陸は認められていません。(従業員は専用船で新居浜から通勤しています。)
今回、四阪島の周りを巡る旅行ツアーに参加し、初めて島を肉眼で見ることができました。
東平の大マンブ、小マンブと第三通洞 [別子銅山]
別子山中の鉄道というと、明治時代に建設された上部軌道が有名ですが、こちらは東平から第三通洞、日浦通洞を経て嶺南(旧別子山村)の日浦まで通じていた鉄道のお話です。
東平のインクライン跡 [別子銅山]
物資の運搬に利用されていたインクラインの跡です。
インクライン、というのは貨物を運搬するケーブルカーのようなものです。
鉱石、というよりは、専ら生活物資などの運搬に使用されたようです。
目立つ設備なので、新旧の写真を見比べて位置関係を把握する際にも有効です。
インクライン、というのは貨物を運搬するケーブルカーのようなものです。
鉱石、というよりは、専ら生活物資などの運搬に使用されたようです。
目立つ設備なので、新旧の写真を見比べて位置関係を把握する際にも有効です。